桐生聖クララ会の霊性とは?

桐生聖クララ会の霊性とは?

クララ会修道女とは?

私たちが愛し、礼拝する御聖体のように、貧しく、謙遜にして、隠れている。
私たちの師父聖フランシスコのように、悔い改めて、喜びに充ちて、兄弟的。
私たちの母聖クララのように、教会に忠実な娘にして、
貧しく十字架に釘付けられたお方を熱烈に愛する人。
神のみ言葉と典礼によって、形作られていく。
軽い足取りで、つまづくことなく人生を通りすぎていく・・・。
                       ロスウェル・クララ会 *
                      マザー・メリー・アンジェラ

*アメリカ、ニューメキシコ・ロスウェルにあるクララ会の現院長
私たちはこの修道院の前院長が書いたコレッティンの会憲を取っています。*


マリア的生活

 母聖クララは、聖母の足跡と呼ばれました。
 聖母マリアは天使のお告げを受けて、「FIAT-仰せのごとくこの身になりますようにーはい」とお答えになった時、聖霊に覆われました。
 私たちの黒いヴェールはその聖霊の影に覆いの象徴です。
十字架の下の聖母は、愛する御子の苦しみを共にされ、人類の母となり、又、カナの婚宴では、マリア様の願いによって、水が上等な葡萄酒に変えられました。
 私たちも、人々の苦しみと必要性の為に絶えず執り成しの祈りをし、日々の生活の中で出会う喜びや感謝、困難や苦しみを主に捧げ、マリア様のように、主イエス・キリストの救いの御業の協力者としての使命を果たしています。


私たちの祈り

沈黙と孤独、祈りと償い―それは、観想生活の4本の柱です。
私たちは祈りのうちに、神様を礼拝し賛美し、そして感謝を捧げます。
毎日の典礼-“御ミサ”と“教会の祈り”の中で、詩篇や聖歌を歌うとき、
今、喜びのうちにある人、
また、悲しみのうちにある人、苦しんでいる人々、
心と体の病気に苦しむ人々、
家庭や人間関係、仕事上の問題、仕事を失った人々の心の思いを神に捧げ、
そして、その人々の心を抱いて神に祈ります。

災害や事故で苦しむ人々、
戦争やテロの恐怖の中にいる人々の為に祈ります。

祈りによって、今、臨終のもだえの中にいる人々、
今日、臨終を迎える人々の傍らにいます。
そして、亡くなった人々の永遠の安息の為にお祈りしています。

神様、あなたを愛します。
どうか、人々の苦しみの中に、あなたの救いの御手、癒しの御手を伸べて下さい。
彼らの今の苦しみが、平和と感謝へと変えられますように・・・。

                AMEN  


喜びと姉妹的交わり

 陽気であることは、私たちの特権です。
一日の終わりには、姉妹達は集まってリクリエーションでそれぞれの喜びを分かち合います。
 毎朝のごミサや典礼の大切さは言うまでもありませんが、毎晩のレクレーションや院長や修練長の為に何かをすること、“遊びの精神”をも、私たちは同じように大切にしています。
それは、精神のバランスを保つための秘訣だからです。
 毎年、修道院長の修道名の祝日には、歌や楽器の演奏、劇や踊りなどをプレゼントします。
共同体全員で行うこれらの「出し物」は、各自の創造性を発揮する貴重な時であり、相互愛と協調性を養う場ともなります。修練院の姉妹達も、修練長の祝い日に同じように「出し物」をプレゼントしますが、入会後間もない姉妹にとって共同体の中に深く溶け込むための良い学びの場ともなります。
貧しさと単純さ、それがクララの娘達の財産です。それは、喜びを生み出します。
  夜中の眠りを中断すること、お肉を食べないこと、外出をしないことは辛いですか?
いいえ、それは、主を愛する者にとって、「神だけで十分!」との宣言です。
私たちは、神を愛することを、沈黙で雄弁に語るのです。


御聖体と共に

 私たちの生活をひとことで言うなら、御聖体のイエス様の御前に平伏し、礼拝を捧げる生活です。
 世の中はあわただしく、騒音のなかで、神を忘れ、神を神として認めず、愛し、礼拝していませんから、 私たちは、それらの人々に代わって、毎日御聖体のみ前に平伏して、主に心からの愛と礼拝を捧げ、 賛美の歌を歌っています。
 御聖体のイエス様から、主の愛と癒しの力が流れ出て、人々の乾いた心を潤し、心と体の病が癒され ますよう、祈るのです。
 その祈りが、あなたのもとに届きますように・・・。