聖フランシスコと聖クララが教えてくれた祈り

聖フランシスコと聖クララが教えてくれた祈り

聖フランシスコが教えてくれた祈り


 聖フランシスコは、回心した頃、聖ダミアノ教会の十字架の前で、次のように祈りました。

サンダミアノの十字架 このうえなく高く、栄光に満ちておられる神さま、
私の心の闇を照らし、
正しい信仰、確かな希望、完全な愛、
感じる心と深く知る恵みを与えください。
こうして主よ、
あなたのとうとい、まことの掟を守ることができますように!
 (Fr.渡辺義行o.f.m. 訳)

 聖堂に対する特別な信仰をいただいていた聖フランシスコは、自分の周りに最初の兄弟たちが集まってきた頃、兄弟たちに、聖堂のそばを通る時は次のように祈るように、と教えました。

主イエス・キリスト、
私たちはここで、また世界中のあなたのあらゆる聖堂で、
あなたを礼拝し、賛美します。
あなたは、尊い十字架によって、
世を贖ってくださいました。
(桐生 聖クララ会 訳)

 また、聖フランシスコは、「教会の祈り(聖務日課)」のような形式で詩編を編纂して、「主の御受難の聖務日課」を作りましたが、その中で、各時課を唱えるたびに、聖母に対して次のような祈りを添えました。

おとめ聖マリア、
この世に、女性の中に、
あなたのような方は、またとおられません。
まことにあなたは、
至高の王であり、天の父である方の娘、
はしためでいらっしやいます。
あなたは、この上もなく清い私たちの主
イエス・キリストのお母さまでいらっしゃいます。
あなたは、聖霊の浄配でいらっしゃいます。
どうか、あなたの尊い最愛のお子さま、
私たちの主であり、師である方に、
大天使聖ミカエル、天のすべて力、また、諸聖人と共に、
私たちのために祈ってください。
(Fr.渡辺義行o.f.m. 訳)





 聖フランシスコは、病気が重くなって寝たきりになり、目も見えなくなった頃、神様のお造りになった被造物に思いを寄せながら、「太陽の歌」とう美しい祈りを作り、兄弟たちに歌ってもらいました。

このうえなく、全能の、善い主、
賛美、栄光、誉れ、
また、祝福のすべては
あなたのもの。

それらは、この上なく高く、  
あなただけのものです。
あなたの御名をふさわしく  
口にできる者一人もいない。

私の主、あなたはたたええられますように  
造られものすべて
とりわけ、兄弟太陽と共に、
太陽は昼を治め、
その光であなたは
私たちを照らします。

太陽は美しく、
燃えるように輝き、
この上なく高い方、
あなたの姿を現します。

私の主、あなたはたたえられますように、
姉妹月と星によって。
あなたは、空に月と星々を
明るく、気高く、
美しく造られました。

私の主、あなたはたたえられますように、
兄弟風によって。
また、空気、雲とれ渡った空、
あらゆる天候によって。
これらを通して、
あなたはお造りになったものを
支えられます。

私の主、あなたはたたえられますように、
姉妹水によって。
水は、益多く、謙遜であり、
貴重で、清らかです。

私の主、あなたはたたえられますように、
兄弟火によって。
この火をもって、
あなたは夜を照らします。
火は美しく、喜ばしく、
たくましく、力強い。

私の主、あなたたたえられますように
私たちの姉妹、母である大地によって。
大地は、私たちを養い、導く。
また、さまざまの実と  
色とりどりの草花を生み出す。

私の主、あなたはたたえられますように、
あなたへの愛のゆえにゆるし、
病いと苦しみを耐え忍ぶ者によって。

平和のうちに耐える人は幸い。
その人は、
この上なく高い方、
あなたから栄冠を受けるでしょう。

私の主、あなたはたたえられますように
私たちの姉妹体の死によって。
生きる者誰一人 
この姉妹から逃れられません。
大罪のうちに死ぬ人々は、災い。
あなたの至聖な御意志のうちに、
この姉妹を見出す人々は幸い。
第二の死も、この人々を害することはできない。

私の主をほめたたえなさい。
主に感謝し、
深くへりくだって、主に仕えなさい。
(Fr.渡辺義行o.f.m. 訳)

 聖フランシスコが「太陽の歌」を作ったのと同じ頃、聖クララと姉妹たちは聖フランシスコとの別れの日が近づいていることを知り、悲しみにくれました。この様子を知った聖フランシスコは、聖クララと姉妹たちを励ますために、もう一つの歌を作って、サン・ダミアノの姉妹たちにプレゼントしました。この歌は祈りではなく姉妹たちへのメッセージですが、この歌もご紹介いたしましょう。

お聞きなさい、
主によって様々な場所や地方から集められた小さく貧しい者たちよ、
真理のうちに生きるなら、従順のうちに死ぬことになるでしょう。
外面的な生活に心を奪われてはなりません。
なぜなら、霊的な生活のほうがはるかに優れているからです。
私は、愛によって皆様に説に勧めます。
主が与えてくださった施しを賢明に用いてください。
病気の十字架を担っている姉妹たちと、
この姉妹たちのお世話という十字架を担っている姉妹たちは
平和のうちに互いに支えあってください。
これらの十字架がどれほど尊いものであるかを心に留めてください。
なぜなら、一人ひとりは、いつの日か、天国において、
おとめマリアと共に、女王として冠をいただくことになるのですから。
(Fr.渡辺義行o.f.m. 訳)

 ある日、福者ヨハネ23世教皇様のもとに、フランスから在世ランシスコ会の兄弟姉妹たちが巡礼者として訪れました。この巡礼団に配布された巡礼のしおりの中に、「聖フランシスコの平和の祈り」として知られている祈りが入っていました。この祈りは実際に聖フランシスコが作った祈りではありませんが、「平和の人」聖フランシスコの精神が見事に表れています。後に、国連の事務総長が演説の中で引用なさったり、マザー・テレサが折りあるごとに講演会などで祈られて、今や世界中の人々から愛されるようになりました。

主よ、私を平和の道具とさせてください。
私にもたらせてください。
憎しみのあるところに愛を、
罪のあるところにゆるしを、
争いのあるところには一致を
誤りのあるところには真理を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところに喜びを。
あぁ、主よ、私に求めさせてください。
慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。
日とは自分を捨ててこそ、受け、
自分を忘れてこそ、自分を見出し、
赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠の命に復活するからです。
(Fr.渡辺義行o.f.m. 訳)

聖フランシスコは他にもたくさんの祈りを教えてくださいました。次の本の中でも、聖フランシスコの祈りを見つけることが出来ます。
『アシジの聖フランシスコの小さき花』・『続・アシジの聖フランシスコの小さき花』(訳・石井健吾 聖母の騎士社)
『アシジの聖フランシスコの小品集』(訳・庄司篤 聖母の騎士社)
『聖ボナベントゥラ 聖フランシスコの大伝記』(訳・宮沢邦子 あかし書房)
『チェラノのトマス 聖フランシスコの第一伝記』(訳・石井健吾 あかし書房)
『チェラノのトマス 聖フランシスコの第二伝記』(共訳・小平正、F.ゲング  あかし書房)
『フランシスコと共にいたわたしたちは』(共訳・佐藤翔子、渡辺義行 あかし書房)
『聖フランシスコの祈り』(訳・大島澄江 ドン・ボスコ社)
『アシジの聖フランシスコとともに祈る』(訳・渡辺義行 自費出版)
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聖クララは祈りの生活を教えてくださいます

聖クララが姉妹たちに教えているのは、神さまとの一致をめざす祈りの生活の最も基礎的な事柄です。聖クララは祈りの生活を「主をながめ、思い巡らし、観想してください。ひたすら主に倣う望みを抱いて。」(1)という短い言葉にまとめています。今日は、このテーマについて聖クララにインタビューしてみました。何しろ、800年前の高貴な家柄のご婦人ですから、聞きなれない言葉もあるかと思いますが、ご了承下さい。

主はどこにおられるのですか?
忠実な霊魂だけが、広大な天と地のいかなるものも収めることのできない創造主のとどまる所、お住まいです。(2)

そのために、何かする必要がありますか?
そのためには愛だけでじゅうぶんです。真理にまします御方が証明して、「わたしを愛する人は父にも愛され、私もその人を愛する。そして、私たちはその人のところに行ってそこに住む。」と仰せになりました。
あなたは、おとめである聖母のみ後に従い、とくに、聖母の謙遜と清貧に倣うなら、おとめ中の栄えあるおとめが、じっさいに、そのおからだに主をお宿しになったように、疑いもなく、あなたも、清いおとめのおからだに、霊的に、主をいつもお宿しになるでしょう。
(3)

どのようにして、主をながめ、思い巡らし、観想すればよいのでしょうか?
主は曇りない鏡でいらっしゃいます。あなたは、日ごとにこの鏡をみつめ、絶えず、御自分をお映しなさい。
鏡の最初の面には、粗末な産着に包まれ、飼葉桶に寝かされた幼児の貧しさが見られます。あぁ、感ずべき謙遜。あぁ、驚くほどの貧しさ。諸天使の王、天地の支配者は、動物の飼葉桶に休んでいらっしゃるのです。
つぎに、鏡の中央の面では、主の謙遜を思い巡らしなさい。これこそ幸いな貧しさです。主が人々を救うために耐え忍ばれた、無数の労苦と不義とをおながめなさい。
ついには、鏡の最後の面で、十字架の上で苦しみ、かつ、死をとげられたほどの、言い尽くしがたい主の愛を観想なさい。また、この鏡は、人が観想しなければならない事柄を示すために、十字架から通りすがりの人々に呼びかけるでしょう。「あぁ、道行く人よ、歩みをとめてながめなさい。私の苦しみにまさる苦しみがまたとあろうか。」と。この叫びに私たちは、声をそろえ、心を一つにして答えましょう。「あなたへの思いは私の心から消え去らず、あなたの憂いは私の魂に強く迫れます。」と。
(4)

それでは、「主に倣う」とはどういうことなのですか?
貧しい産着に包まれ、飼葉桶に横たえられたいとも聖なる幼きイエスの愛と、その御母の愛のため、私は私の姉妹たちが、いつも貧しい衣服を着るようにしています。(5)
姉妹たちは、何ものも自分のものとしません。この世において巡礼者・旅人のように清貧と謙遜のうちに主に仕え、信頼をもって施しを願います。だれも、このようにするのを恥辱と思ってはならないのです。主が私たちのためにこの世で貧しくなられたからです。(6)
あなたのために侮辱の的となられた主のことをお考えになって、あなたもこの世では主に従い、侮辱の的とおなりなさい。もし、あなたが主と共に苦しむなら、主と共に、み国をお治めになるでしょう。主と共に泣けば、主の喜びにおあずかりになるでしょう。十字架の苦しみのただ中で主と共に死ねば、あなたは聖人方の輝きの内に、天上の住みかをお受けになるでしょう。(7)

このように生活すると、どうなるのでしょうか?
栄光に輝く玉座にまします王おんみずからとの、天上の宮殿における一致こそ、その完成です。(8)

今日はすばらしいお話を聞かせてくださいまして、本当にありがとうございました。


(1) プラハの聖アグネスに宛てた第二の手紙 岳野慶作訳
(2) プラハの聖アグネスに宛てた第三の手紙 〃
(3) プラハの聖アグネスに宛てた第三の手紙 〃
(4) プラハの聖アグネスに宛てた第四の手紙 〃
(5) 会則第二章参照 桐生 聖クララ会 訳
(6) 会則第八章参照 〃
(7) プラハの聖アグネスに宛てた第二の手紙 岳野慶作訳
(8) プラハの聖アグネスに宛てた第四の手紙 〃